- 2024年5月22日
映画『渇愛の果て、』監督・脚本・主演の有田あん インタビュー。夫婦やパートナーが互いに寄り添うためのきっかけになるような作品になったら
映画『渇愛の果て、』は、「家族・人間愛」をテーマにし、あて書……
2026年1月31日公開の映画『時のおと』。福井県の四季と「音」を巡る本作は、地元住民と俳優の境界線を曖昧にしたリアリティが胸を打つ。キャストの葵うたの、柳谷一成、片山享監督へのインタビューでは、1ヶ月の移住を経て「農家」として生きた柳谷の役作りや、計算を捨てて挑んだ葵の葛藤、そして監督が貫く「嘘のない演出」の真髄が語られた。3人の対話から、映画が問いかける「街への愛着」を紐解く。

ー: 葵さんにお伺いします。お母様が舞台女優でいらして、幼少期には「暗闇で死体を見つける演技」といったかなり衝撃的なレッスンのようなものがあったと聞きました。 そうしたお母様譲りの「演劇の血」やメソッドと、今回、片山監督から現場で求められた演出や指導を、どのように比較検討したり、あるいは融合させたりして取り組まれたのでしょうか?
葵うたの: そうですね。さっきの「暗闇の話」もありましたけど、母からは「表現すること」や「想像力」といったものを教わった気がしています。 昔、舞台をやっていた時も、母からそういう観点でのダメ出しをもらったりしていました。それは「メソッド」と呼べるほど大げさなものではないんですけど、幼少期にそういった基礎を教わっていました。
一方で、片山監督からは……何て言えばいいんでしょうか。「役者としてこう見せたい」というような「欲」みたいなことを、させてもらえないんです。
片山享監督: 嘘がつけない状況みたいなものをつくっていってるのかもしれないです。
葵うたの: そうです。自分の気持ちに正直にならざるを得ない、「人としてその場にいる」という状況を与えられている感覚でした。 もちろん「見られている」という意識はあるんですけど、作り込んで見せるのではなく、ただそこに存在することを求められた現場でした。
ー: 劇中で、葵さん演じる紗友里が顧問の先生に対し「論理的にはここは感情がないとあかん」けれど「こっからラストまでのバランスが崩れてしまう」と議論する印象的なシーンがありました,。 プロの役者である葵さんが、学生の演劇部員を演じるにあたって、ご自身の芝居と周りの空気感との「バランス」をどのように意識して撮影に臨まれたのでしょうか?
葵うたの: バランス……。そこがすごく曖昧なんです。 普段の私は、すごく色々なことを考えて演じるタイプです。普段であれば台本を読み込んだり、共演者の方の雰囲気や性格を感じ取ったりしながら、「こうすればバランスがいいかな」と計算する部分はあったと思います。
一: 今回はどうだったのでしょうか?
葵うたの: 今回は、そんなバランスのことを考える隙がないくらい、目の前で起こっていることに必死でした。 「一生懸命楽しむ」とか、「負けたくない」とか、そういう感情が先行していて……。もちろん準備してきたものはあったと思います。でも、現場では次々とことが起こっていくので、頭で考える隙が全くなかったんです。
一: 考えるよりも先に、感情が動いてしまったということでしょうか。
葵うたの: 計算していなくても「安心してその場にいられた」というのはあります。それは私が片山監督の作品が好きで、監督のことも好きで信頼していたからこそ、身を委ねられたんだと思います。
一: 柳谷さんは撮影の1ヶ月前からロケ地の勝山市に移住し、実際に農作業やバイトをされたそうですね。
柳谷一成: はい。役柄と同じく農家の三嘴(みつはし)さんの元で水菜作りを手伝い、夜は「一克(いっかつ)」という焼き鳥屋でバイトをして生活費を稼いでいました。そこで地元の人と飲みに行ったり、祭りの太鼓練習に参加したりして、コミュニケーションを取っていました。
一: そこで覚えた福井ならではの印象的な言葉はありますか?
柳谷一成: 「ジャミジャミ」ですね。テレビの砂嵐(アナログ放送終了時や電波が受信できない時に表示される砂嵐のような画面)のことを福井ではそう言うんです。「これジャミってる」とか。
片山享監督: 柳谷さんのすごいところは、映画の役作りのためだけにやっていない点なんです。「いい情報を得よう」という下心ではなく、目の前の人としっかり交流しようとしている。だからこそ、久しぶりに会った時も地元の人と深いコミュニティが出来上がっていた。映画撮影よりも、三嘴さんに会いに行くことの方を大事にしているくらいですから(笑)。
一: 映画のタイトル『時のおと』にちなんで、お二人の故郷を象徴する「音」について教えてください。
柳谷一成: 長崎の夕方5時に流れるチャイムですね。「夕焼け小焼け」だったかな。野球をして遊んでいる時にあれが聞こえると、「帰らなきゃ」と寂しくなったのを思い出します。今でも長崎以外の場所で聞くと、その感覚が蘇ります。
葵うたの: 私は2つあって、1つは学校近くのトンネルでバスケットボールを壁にぶつける「ドン」という音。もう1つは、洋食屋をやっていた父が、仕込みで肉を叩く「ドンドン」という音ですね。

一:今回、演技が未経験の方々、いわゆる「本物の存在」である地元の方々と対峙した時、プロの役者としてどのような心構えで臨まれたのでしょうか? 役者同士のようなキャッチボールとはまた違う、思考の仕方だとかやりとりのようなものはありましたか?
柳谷一成:何も変わらず、そのままという感じですね。
一: そのままなんですね。
柳谷一成: はい。逆に学ぶこと……というか、人としての感情の交わし合いの中で「この人はすごいな、こういう人生を過ごしてきたんだな」と感じる部分がすごくありました。特に農家さんなどは、我々の想像もつかないご苦労をされていますし。
何より、こちらがお邪魔させていただいている立場なので、受け入れてくれたことへの感謝しかありません。最初は「邪険に扱われるのかな」とか自分の中で勝手に考えたりもしたんですが、全くそんなことはありませんでした。
一: なるほど。受け入れてくれたからこそ、お互いに伝え合うものがあったということでしょうか。
柳谷一成: そうですね。あったと思います。
片山享監督: ……たぶん、今の柳谷さんの感覚が持っている役者さんって少ないのかなって。実際僕がその立場になった場合そういう感覚を持てるか正直自信ないです。でも、僕は監督として役者であろうがそうでなかろうが、そこにある種の差別化めいたことをしてしまう役者さんは少し苦手な気がします。その差別化はいらないと思っているからです。
あと、柳谷さんの場合はちょっと論点が逆転していて、彼は役作りとかそういうことじゃないところで、本気で農家になろうとしている部分があるんです。だから、映画のためというより、「生活」という論点で街の人たちと接しているから、演技云々という意識すらないのかもしれません。
一: 葵さんも学生演劇のパートなどで地元の方と共演されていますが、「伝えたいこと」などが生まれたりしましたか?
葵うたの: 彼ら・彼女たちは普段通りにしているだけで、圧倒的な説得力を持っているんです。だから、私が彼らに何かを伝えるといった感覚は全くなくて。むしろ逆で、「私がそこに入り込めるのか」「溶け込めるのか」という恐怖の方が強かったです。
一:演技経験の多い少ないといった話ではなく、自分がそのリアルな空気に溶け込めるかといったことが感じた部分なんですね。
葵うたの:だから「演技を教えた」というような意識もないですし、むしろ彼らが持っているものに圧倒されて、もらったものの方が大きいです。
片山享監督: 今回の映画は街の話でもありますから、葵さんが言うように、彼らの生活の中に役者が入っていくというのはとても怖いことだと思います。
だからこそその溶け込み方が大事で。「受け入れる」ではなく「受け入れてもらう」葵さんや柳谷さんにはその感覚は安心して共有できました。あくまでも人と人で触れ合える関係をつくりあげれることが大事だったので、そういう意味でも今回お呼びしたキャストの方々とその街々の出演者の方々にはとてつもなく助けていただきました。元々役者って仕事とか映画を撮っているということ自体をすごいことだって話す人は苦手なもので…。
一: なるほど。お二人が監督の求める「自然体」や「嘘のなさ」を体現できている理由が、今の言葉からすごく腑に落ちました。
一: 最後に、これからこの映画をご覧になるお客様に向けて、「ここを見てほしい」というポイントや、メッセージをお願いします。
片山享監督: 僕はこの映画で当たり前の生活を、飾らずに真面目に撮ったつもりです。映画の中で流れる、皆さんにとっては「知らない街の音」を聞いた時に、自分のかつての記憶や感覚がくすぐられて、あたかもその街に住んでいたかのような感覚になれるのではないかと思っています。 もしそう感じられた時に、今、皆さんが住んでいる街や働いている街の音も「ちょっと聞いてみようかな」とか、自分の街をちょっと好きになってもらえたら最高ですね。当たり前のことって気づきにくいですけど、それが教えてくれることはいっぱいある気がしています。
葵うたの: 私も、生きている中で見過ごしてしまうことがたくさんあると思うんです。でもこの映画を見た時、自分の知らない誰かの記憶や音を通じて、新しい体験ができると感じました。 見る人が今どこにいるか、過去なのか未来なのかは人それぞれだと思いますが、この映画はふとした自分の生活も肯定できる作品だと思っています。「人生っていいな」「なんとかなるな」「幸せなことっていっぱいあるな」と思えたので、そんな「人生の味わい」みたいなものを、ぜひ劇場で体験していただけたら嬉しいです。
柳谷一成: 難しいですね……。この作品に関わっている時と、出来上がってから思ったことなんですが、『時のおと』は「消耗されない映画」だと思っています。後世に残るというか、残したいから映画をやっている部分もあるんですけど。 僕が演じた勝山市編で言えば、農家の三嘴(みつはし)さんや勝山の人たちと過ごした時間が、紛れもなく記録されています。 だからこそ、映画を見に来てほしいというよりは、そこに映っている「勝山の人たち」や「福井の人たち」に会いに来てほしい、という感覚です。一: ありがとうございます。それぞれの熱い想いが伝わってきました。

映画『時のおと』




■あらすじ
女子高生は演劇部として最後の夏を迎える。
街の音に憧れた女性は時を止めようとする。
漁師はいずれおとずれる世代交代に向き合いながら生きる。
移住してきた男性は春を待つ野菜を育てる。
聴こえてきた音。聴こえている音。時は過ぎて行く。
出演:上のしおり 葵うたの 笹木奈美 窪瀬環 千馬龍平 柳谷一成 もも 千馬和弘 三嘴武志 津田寛治
監督/撮影/編集:片山享
プロデューサー : 宮田耕輔 植山英美 脚本 : 片山享 Kako Annika Esashi 録音 : 杉本崇志 坂元就 整音 : 杉本崇志 カラリスト : 田巻源太 編集協力 : 秦岳志 スチール : 坂本義和 三味線指導 : 杵屋禄宣 もも 英訳 : 服部きえ子
海外セールス : ARTicle Films 制作プロダクション : ハナ映像社 製作 : ふくいまちなかムービープロジェクト
協力 : 福井市 小浜市 南越前町 鯖江市 勝山市 企画:福井県
公式X:https://x.com/Fukuinooto
公式Instagram:https://www.instagram.com/toki_no_oto_291/
1月31日(土)ポレポレ東中野にて公開
