1981年に生まれて:河野知美x木原勝利 座談会 【第1回】二人の道のり

1981年に生まれて:河野知美x木原勝利 座談会 【第1回】二人の道のり

主演作が公開中の俳優のお二人、河野知美さんと木原勝利さんにお時間をいただき、お二人の経歴から、映像の世界にたどりつくまでについて語り合っていただきました。木原さんがW主演のひとりを務める映画『東京遭難』は、新宿K’s cinema で、12/1(金)まで。河野知美さんがW主演のひとりを務める映画『水いらずの星』は新宿武蔵野館にて公開中。

■【河野知美x木原勝利 座談会】二人の道のり

まずはお二人それぞれの役者を始めるきっかけについてうかがいたいと思います。
まずは、木原さんからお願いします。
以前、お話をうかがった際は、高校時代はサッカーをされていたという話でしたよね?

▼木原勝利さんの経歴

木原勝利
普通に高校までサッカーをしていました。高校からJリーガーが出るような強豪校に通っていました。

高校3年になって部活が終わって、サッカー方面にすすもうと思ったけどそれが難しいと思ったときに、文化祭でクラスで劇をやったんです。その時に演出が何をするのかをわからないまま演出をして、自分自身も出演して劇をやったんです。
『サラフィナ!』という反アパルトヘイトの青春ミュージカルで、学生演劇用の台本になっているものがあって。

河野知美
高校3年生がやるには、深いテーマですね。

 木原勝利
そこで僕は劇作をきちんとやりたいと思ったんです。学校のクラスで劇をやるとやる気のある人もいれば、やる気のない人もいて、「じゃぁ、全員がやる気のある人で劇をやったらどうなるんだろう」と思ったんです。
僕は今でもそうなのですが、目標がないと動けないタイプで、「これをやるためには、相当な年月を費やさないといけなくなる、やるからにはそれを仕事にしたい」と考えました。そのときに、「 果たしてそれでいいのか…」と考えたんですよ。「大丈夫かな…」って。賭けだなと思ったんです。

河野知美
当時18歳ですよね?

木原勝利
はい、当時18歳です。
でもいいや!と思って、高校3年生の進路相談で母と先生に、「僕は卒業したら劇団に入ります。」と言ったら先生が、「いや、木原はもうちょっと勉強した方がいいんじゃないかな。大学とか行っても、お芝居や演劇とかあるし、学生劇団とかさ」って。

僕は「そんなのあるんですか!?」って。
何も知らなかったんですよね。

河野知美
ただ。“劇団”って言ったんだね。

木原勝利
何にも劇団がどういうことなのかわかってなかったんです。
「学生劇団とかあるんだ…」と思って、大阪芸大を調べ始め、

河野知美
木原さんは京都出身でしたっけ?

木原勝利
はい、京都出身です。
大阪芸大を調べ始めたら、学費が高いな…と思い、そもそも、今からじゃ間に合わないですよね。すでに高校3年生ですから。
親も大学には行って欲しいと言うことだったので、そこに演劇部があるかも調べずに地元の大学に行き、そこに運よく演劇部があったので入って、演劇を始めたんです。
でも幸運なことにそこの演劇部はそんなに有名じゃないし弱いところだけど、OGに「劇団M.O.P」に所属の劇団員の方がいらしたんです。
だから、そこ出身の人には、キムラ緑子さんとか小市慢太郎さんとか、有名な方がいる中にそのOGさんがいて、演劇部の活動にちょくちょく顔を出してくれて、いろいろと指導やアドバイスをいただきました。演劇部でやっていたことも、基礎というか、しっかりしたことだったんです。いま思えば。

そういったことから始まり、関西の小劇場に出入りをし始め、演劇を10年ぐらいずっと続けていたんです。気づけば27歳で、バイトしながらずっと演劇ばっかりやっていたら駄目だと思ったんです。

河野知美
芝居畑の人だったってこと?

木原勝利
そう、演劇畑なんですよ。

河野知美
演劇畑なんだ!

木原勝利
27歳ぐらいまで、映像はやっていなくて。東京に出ることも僕は考えていなくて、ただ目の前のことばっかりやっていて、このままだとダメだと考えたんです。
東京に出て、映像方面にも進出しなければと考えて、自主制作の映画とか、大きな商業映画のエキストラに毛が生えたような役として出たりしながら、東京に出なきゃいけないんだと思って、やっと32歳で上京してきたんです。

河野知美
そうなんだ。それまではもう本当にまだ京都とか大阪界隈だけ?

木原勝利
そうです、27歳から演劇に出る頻度を下げてお金を貯めて本当に自分のやりたいことに絞りました。
場数を踏むために年間12本ぐらい舞台に出ていたんですけど、それを整理して東京に出てきて、ご縁があって事務所にも入ることができました。
演劇もやらないわけではないけど、映像の仕事にいろいろとご縁があってお仕事いただいて東京で活動して今、こうやっています。

河野知美
そうなんだ。話の流れとは全然関係ないんだけど、東京に上京してきて最初にどこに住んだ?

木原勝利
最初は、何も知らなくて、東京は家賃が高いので調べたら、埼玉の所沢がでてきたんですけど、西武新宿線で1本で20~30分で都心に出られるから、出かけやすいと思ったんですけど、ある東京に住んでいる先輩に上京する前に飲んだら、「映像の仕事をするにあたって、朝6時に新宿集合となった時に間に合わないから、あと1、2万円頑張ってでも、下北沢界隈とかがいいんじゃないか、その方が役者の人もいっぱいいるから」ってアドバイスしてくれたんです。
そうか…と思ってすぐにそれを取りやめ、他を探し始め、下北沢から1駅ずつ都心から離れていきながら、何とか都内の23区内(世田谷区)で部屋を見つけました。

河野知美
でもなんか不思議。
生まれた年が一緒じゃない?
木原さんが語っていることって、私と同じ時代で、私も生きているんだなっていうのがすごく不思議でした。

▼河野知美さんの経歴

木原勝利
河野さんはいかがだったんですか?

河野知美
私はずっと音楽をやっていたんですよ。

木原勝利
どういう音楽ですか。

河野知美
役者よりも、シンガーソングライターになりたかったんです。曲を作るのがすごく好きで、大学にも行かないでずっと作曲をしていました。
結構、音楽やっている友達もその頃が多かったから、「私はミュージシャンになる!」って思ってたんです。
 だけど、うちの両親はすごく普通を求める家庭だったんだよね。

「知美、頼むから、せめて四大だけは行ってくれ」と言われて、その時にたまたま昭和音楽大学に、プロデューサー学科とかマネジメント学科というのが初めて日本でできたんです。

それは専門学校で学ぶプロデューサー業っていうのを大学の学科に取り入れて、必ずUCLA に留学するっていうコースだったんです。
私は英語がすごい好きだったから、「UCLA に行けるんだったら、しかも音楽っぽいことが学べるんだったらそれもいいな」と思って、楽器の試験もなかったから、そこに入ったんです。

そうなっても音楽は諦められなくて、友達とやっていた時もあるけど、渋谷のマークシティの前で1人で路上ライブをしていました。毎日、楽器を演奏しながら自分で歌いながら過ごしていました。
私は、究極型の性格で、「やるんだったらとことん!」みたいな。

木原勝利
もうひしひしと感じます。出会ってからずっと、もう隙間なしみたいな。

河野知美
365日、雨の日も雪の日も立ち続けて濡れながら歌い続けました。
多分手売りでチケットをトータルで6000枚くらい売っていると思います。渋谷・円山町のo-westとかライブハウスがあるじゃないですか、ユーロスペースの近くの。

あそこの一番小さいキャパではあるんだけど、それでも多分150人か200人ぐらい入るキャパを埋めたんです。ワンマンではなく、さすがにツーマンだったけど、それでも友達と一緒に埋めて満席というのをやったんです。その時がいくつぐらいだろう…。

でもずっと音楽をやっていたんだよね。そのときにはもうスカウトされて、音楽でやろうと。ただ、歌うことよりも作曲が好きでした。

「河野さん、デビューを考えましょう」、「週に3曲は必ず作ってきてください。」って、ある人に言われて、私って究極形だから、必ず5曲作っていって、本当に曲を作るのが好きでずっと5曲ずつ作り続けました。

ある日、「河野さんは、歌、例えばボイトレとか自分のメンテナンス的にベースを上げる作業があるんだけど、それ以外に自分が得意とするところを伸ばすにはどうしたらいいと思う?」みたいなことをマネージャーさんっぽい人に言われたんです。

そういえば小学校の頃、私って演劇部に入ってたなと思いだしたんです。しかも本当にブスで、絶対にヒロインとしては出してもらえなかったんです。小学校の頃はすごい「ブス、ブス!」って言われていて、醜いっていうよりかは、こういう個性的な顔だったので、しずかちゃんには敵わないんですよ。

 異星人的な意味で「何かお前は変だ」みたいなことをずっと言われていて、それがコンプレックスで、ずっと「ヒロインの子っていいな。しずかちゃんっていいな」って思っていたんだけど、できなかったなっていうのを思い出して、「そういえば私って、演劇をやってたんですよ」って言ったんです。「もしかしたら演劇をやると感情とかの部分で表現力がもっと増すから、それを学べたら面白いかもしれないです。」と言ったら、そのマネージャーがとある事務所の養成所を紹介してくれて、入らせていただいたんです。そこに1年くらい通いました。
それを始めたのが私も26歳くらいの時で、その養成所で知らぬ間にオーディションされていたんです。

勝手に見られていて、「河野さん、ちょっと来てください」と呼ばれて行ってみたら、「商業映画のデビューが決まりました!」って言われました。

河野知美
そこで初めて「演技って面白い!」と思って。
そうしたらいつの間にかもう音楽なんか忘れちゃって(笑)

木原勝利
うそっ!?

河野知美
すごいでしょ。切り替えがすごいんです。
そこで、「河野さん、(事務所に)所属しますか?でも、所属してもサブだと思います。」って言われたんです。サブとか、セカンドといった話だったので、メインじゃないと嫌だなと思って、「じゃぁわかりました。私は本当に演技をやったことがないので、1年間自分で修行してきます。なので所属しません」って言って断ったんです。
それで年間に多分36本ぐらい、短編映画や学生映画のオーディションを受けて出演したんです。

木原勝利
すごい…自分で見つけて?

河野知美
全部自分で見つけて、オーディションを受けて。
だから多分90何本ぐらいオーディションを受けてる中での36本っていうのが私の俳優の始まりです。


■ 映画『東京遭難』

【作品情報】
監督・脚本:加藤綾佳
出演:⽊原勝利 秋⾕百⾳ 永井秀樹 武⽥敏彦 ⼤沢真⼀郎 福⼭⾹温 増澤璃凜⼦ 栗⽥玲⼦ ⾼井晴菜 今⾥真 占部房⼦
プロデューサー:⾕中迪彦 ラインプロデューサー:浜川久美
撮影監督:福本淳 ⾳楽:⻄村⼤介/DUNK 録⾳:⻲井耶⾺⼈ 助監督:⼯藤渉 ⾐装:栗⽥珠似 ヘアメイク:杉本あゆみ
製作:GOLD FISH FILMS、LIVEUP 配給協⼒:細⾕タカヒロ、宗綱弟 DCP/カラー/92分
公式サイト:https://tokyo-sounan.themedia.jp

11 月 18 日(土)~ 新宿 Kʼsシネマにて公開 & 全国順次公開

東京遭難

■ 映画『水いらずの星』

◆キャスト・スタッフ
河野知美 梅田誠弘 滝沢涼子

脚本・監督:越川道夫 原作:松田正隆 企画・プロデューサー:古山知美(河野知美)
音楽:宇波拓 撮影:髙野大樹 美術・装飾:平井淳郎 音響:川口陽一 編集:菊井貴繁
衣装:藤崎コウイチ ヘアメイク:薩日内麻由 特殊造形:百武朋 スチール:上澤友香 スチールヘアメイク:西村桜子
助監督:二宮崇 制作担当:藤原恵美子
製作:屋号 河野知美 映画製作団体/Ihr HERz Inc.
配給・宣伝:フルモテルモ/Ihr HERz Inc.  R15+
© 2023松田正隆/屋号 河野知美 映画製作団体
2023年/日本/164分/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/DCP

映画公式HP:https://mizuirazu-movie.com
公式 X:@Mizuirazu_movie  公式Instagram:@mizuirazu_movie

2023年11月24日(金)より新宿武蔵野館、シネマート心斎橋他にて公開

水いらずの星
© 2023松田正隆/屋号 河野知美 映画製作団体

『Polar Night』


河野知美 峰平朔良
廣⽥朋菜 北澤響 梅⽥誠弘 ⽊原勝利 関幸治 / 神⽥朱未 ⼩⽟葵
⼭﨑七海 カトウシンスケ

監督:磯⾕渚(『天使の欲望』)
脚本:磯⾕渚 ⾼橋洋 企画・プロデューサー:古⼭知美(河野知美)
撮影:中瀬慧 照明:⽟川直⼈ ⾳響:川⼝陽⼀ 美術:平井淳郎 ⾐装:藤崎コウイチ ヘアメイク:⻄村桜⼦ 特殊造形:⼟肥良成
編集:冨永圭祐 VFX:古澤健 予告編集:内藤瑛亮 助監督:登り⼭智志 ⽊⽥⿓⾺ 制作:⼩⽟直⼈
⾳楽:宇波拓
2023 /⽇本/74 分/カラー/シネマスコープ/5.1/DCP
製作:FILM DESIRE / Ihr HERz Inc.
配給・宣伝:フルモテルモ / Ihr HERz Inc.
©2023 FILM DESIRE

2023 年 12 ⽉ 15 ⽇(⾦)より新宿シネマカリテ、シネマート⼼斎橋他にて全国公開

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