西海楽園

映画「西海楽園」Q&A:鶴岡監督、地元・長崎のリアルを追求

2025年10月29日(水)、第38回東京国際映画祭において、鶴岡慧子監督作品『西海楽園』のQ&Aセッションが開催された。鶴岡監督、主演を務めた柳谷一成、そして木下美咲の3名が登壇し、長崎県西海市を舞台にドキュメンタリー要素を深く取り入れた本作の制作秘話が明かされた。会場には、共演者も来場し、和やかな雰囲気の中で質疑応答が進行した。

■ 映画「西海楽園」

企画の出発点:故郷への想いを映画に

本作の企画は、主演の柳谷さんからの連絡がきっかけで始まった。鶴岡監督と柳谷さんは学生時代から共に作品を制作してきた間柄で、柳谷さんが2020年頃、自身の地元である西海で映画を撮ってほしいと監督に依頼したことが発端だという。

当初、柳谷さんは「役所広司さんを起用したい」「福山雅治さんに主題歌を依頼したい」といった壮大な構想を語っていた。しかし、やがて「本当にそういうことをやりたいのか」という問いに行き着き、結果として「半径1メートル」とも言える、自分にとって意味のあるものを残す作品作りへと方向転換した。

この結果、柳谷さんの実家が作品に登場するだけでなく、自身のリアルな両親や弟、地元の友人、さらには祖父までもが出演する、ドキュメンタリーに近い内容となった。鶴岡監督は、柳谷さんの故郷で映画を作ってほしいという要望を受け、まず西海市を訪れ、ご家族やご友人に会った経験を「この経験を映画にしよう」という発想で作品化していったと説明した。


現実から紡ぎ出す脚本と異例のロケハン

鶴岡監督が脚本を作成する上で最も時間を割いたのは、ロケハン、あるいは「シナハン(シナリオハンティング)」と呼ばれるプロセスだった。監督は、撮影の1年前から計3回から4回ほど西海市に足を運び、柳谷さんに地元の人が知る遊泳スポットなどを案内してもらったという。

通常の映画制作ではシナリオが先にあり、それに基づいて舞台が決定されるが、本作では監督が自らの足で街を歩き回り、風景や人々の営みを知り、その発見をシナリオに盛り込むという「贅沢なこと」を行ったという。例えば、柳谷さんの父親が「西海は30年後にはなくなるかもしれない」と語った言葉など、地元の人々が話してくれた内容を拾い集め、監督が一人で脚本を書き上げた。

物語の最初と最後に描かれる、柳谷さんの母親が営む豆腐屋での朝のルーティーンは、監督が撮影前に早朝の仕事を見学させてもらい、それを脚本に落とし込んだ描写であり、この物語に非常に合っていると感じたという。また、タイトルの由来となった仏教テーマパーク「西海楽園」は、ロケハン中に偶然、地元のキーパーソンから案内された場所のさらに上にある廃墟として発見された。海辺でカニが「喜びの舞」のように動いているシーンも、ロケハン中に同行者が気づいた予期せぬ発見であった。


自然体を活かす独自の演出手法

鶴岡監督の演出方法は、プロの俳優と初挑戦の地元の人々が混在する中で、非常に独特であった。監督は基本的に、柳谷さんと木下さん以外の演技経験のない出演者に対して「何もしていない」と述べ、シナリオ作成時に実際に会った人々の個性を反映させた「当て書き」を行ったことで、無理のない自然な演技を引き出せたという。

プロの俳優である木下さんは、約8年ぶりの映画出演であったが、西海での合宿生活や、現地の風景、人々の温かさに助けられ、ミキという役を演じる上での力になったと感謝を述べた。

また、監督は「こういうお芝居をしてください」といった演技指導はほとんど行わず、細かな指示は与えずに俳優に委ねるスタイルを取っている。柳谷さんは、滝での段差を登らないことや、告白のシーンでの防波堤に登らないことなど、画としての演出はあったものの、精神的な演技に関する指示はほとんどなかったと振り返った。鶴岡監督は、俳優が見せてくれたものを自分が受け入れていくという姿勢で演出に臨んでいると説明した。

この「ドキュメンタリー的な部分」と「演技」の融合について問われた柳谷さんは、「楽しすぎて葛藤など何もなかった」と話し、監督から「ちょっと楽しみすぎです」と注意を受けたほど現場の雰囲気が良かったと語った。

鶴岡監督は最後に、本作が長崎の端っこで自分たちだけで作った自主映画でありながら、この大舞台で上映できたことは非常に幸せだと語った。そして、この作品が「映画作りって色々あっていい」という彼女自身の試みであり、それが実を結んだことに喜びを示し、Q&Aセッションを締めくくった。

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Hajime Minamoto

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