新藤兼人賞をはじめ数々の映画賞新人賞を席巻した『佐々木、イン、マイマイン』(20)、続く『若き見知らぬ者たち』(24)と、 これまで“現実に抗いながらも何かを掴もうとする若者の青春”を見つめてきた内山拓也監督。内山監督の故郷である新潟を舞台に、居場所とアイデンティティを模索する少年の物語を自伝的作品として描く渾身の一作『しびれ』。映画は、自分の居場所を探す孤独な少年が、息をのむような大きな愛を知るまでの20年間を描いた作品です。内山監督が『佐々木、イン、マイマイン』よりも前から執筆を続けてきた構想十余年のオリジナル脚本。この度、現在開催中の第76回ベルリン国際映画祭のパノラマ部門に『しびれ』が正式出品され、主演の北村匠海、内山拓也監督が参加した。

■ 映画『しびれ』

【INTRODUCTION&STORY】
映画賞新人賞を席巻した『佐々木、イン、マイマイン』、続く『若き見知らぬ者たち』と、現実に抗いながらも何かを掴もうとする若者の青春を見つめてきた内山拓也監督が、故郷の冬の新潟を舞台に、居場所とアイデンティティを模索する少年の物語を自伝的作品として描く渾身の一作。
青年期の大地を演じるのは、北村匠海。どこにも居場所がない孤独な少年期をくぐり抜け、自分のもとを離れた父への静かな怒り、そして女手一つで自分を育てた母に対し、憎しみと愛、相反する感情に揺れる心の内を見事に体現。大地の母・亜樹役には、宮沢りえ。水商売で日銭を稼ぎ、世間的には育児放棄と呼ばれるような生活を送るものの、細部に息子への確かな慈愛が滲む繊細な母親を好演する。そして大地の父・大原役には、永瀬正敏。幼少期の大地が言葉を失うきっかけとなる暴君のような姿から一転、時が経ち、かつての威厳が消え、悲哀に満ちた余生を送る男を円熟味たっぷりに魅せる。
また、少年期の大地を演じるのは、榎本 司(「ちはやふる -めぐり-」)、加藤庵次(『ぼくが生きてる、ふたつの世界』)、穐本陽月(『TOKYO MER~走る緊急救命室~』)の3人。言葉を発しない代わりに、それぞれが無垢で力強いまなざしで、心の奥底に渦巻く寂しさや母親への愛情を表現し、物語全体を牽引していく。

▼ベルリン国際映画祭 レポート
そして、本作の公式上映が現地時間2月15日(日)に行われ、公式上映前のフォトコールでは、北村が現地のファンのサインにも応じるひと幕も。そして迎えた公式上映。エンドロールが流れると、満席となった会場より大きな拍手が沸き起こり、ベルリン国際映画祭を沸かせた。
万感の表情で、上映後のQ&Aに登壇した監督と北村。内山監督は、演出について最も意識したのは“リアリズムとは何か?”ということだと明かし、「生きている現実と映画のリアルというものは必ずしもイコールではありません。(大地が)さまざまな経験をしていくというリアリティをどう積み上げていくかという部分で、僕は“感情”ではなくて“感覚”を大事にしました。それが今回のタイトル『しびれ』(NUMB)にも繋がっています」と製作経緯を述懐。
それらの感覚を大事にするために、「走る」「ものを取る」といった動きを俳優と共に入念にリハーサルしたことを振り返り「そこからこぼれ落ちるところに感情が追いついてくるのではないかと思っていました」と語りました。そして本作では、幼少期に暴君のような父親の影響で言葉を発することができない主人公の大地というキャラクターを北村匠海、榎本司、加藤庵次、穐本陽月という異なる世代の俳優が演じています。青年期を演じ、壇上で挨拶を求められた北村は第一声で「みなさん、僕の声を聞くのは初めてかと思いますが」とジョークを飛ばし、会場は笑い声と拍手に包まれた。
「僕はこの映画にある膨大な余白が、日本映画の良さだと思っています。大地は声を出さない、見ることしかできないという役柄で、僕にとってはその余白をどう泳ぐかが課題でした。何を感じ、何を手に取って、どこを歩くのか、日々撮影するなかで監督と一緒に掴んでいった感覚があります」と監督に絶大な信頼を寄せる北村。
続けて「大地は僕1人で成り立つキャラクターではありませんでした。他の3人とはスケジュールの都合で会えなかったのですが、僕が撮影現場に入ったその日に、撮影クルー全員がそれまで見てきた大地のことを愛おしそうに話していて……。これだけ全員が大地を見守ってきて、支えてきて、歩いてきた現場だったからこそ、彼らがどんな演技をしていたかを話さずとも、僕には3人の歩んできた時間がわかったんです」と振り返った。
上映後、現地の観客からは「北村さんの、言葉を発さないことによって、逆に激しさを増していく演技に魅了された」「監督の挨拶には、演出に対しての深い思慮を感じた」など様々な反応が寄せられた。
ベルリン国際映画祭 ディレクター パノラマ部門責任者のマイケル・シュトゥッツは、「内山拓也監督による繊細な演出のもと、北村匠海は困難に耐えながら生きる人物を驚くほど豊かなニュアンスで演じ、その存在が作品の感情的な核を形成している」「極めて感受性の高い映像表現と抑制の効いた演出が、演技と風景のあいだに静かな対話を生み出す」と、その選出理由についてコメントを寄せている。
| 【ディレクターコメント】 数多くの応募作品の中で、本作はその静かで力強い語り口によって強い印象を残しました。内山拓也監督による繊細な演出のもと、北村匠海は困難に耐えながら生きる人物を驚くほど豊かなニュアンスで演じ、その存在が作品の感情的な核を形成しています。 極めて感受性の高い映像表現と抑制の効いた演出が、演技と風景のあいだに静かな対話を生み出し、『しびれ』は意図的でありながらも深く心に響く自然主義的な世界を描き出します。随所に見られる思慮深い演出上の選択が作品に確かなリアリティと説得力を与え、観る者の心に長く余韻を残す作品となっています。 マイケル・シュトゥッツ(ベルリン国際映画祭 ディレクター パノラマ部門責任者) |
① メイン会場 Berlinale Palast前でのショット



現地時間:2月15日(日)p.m.1:50~/日本時間:2月15日(日)p.m.21:50~
※北村匠海、内山拓也監督 参加
② 映画祭公式上映前のフォトコール







現地時間:2月15日(日)p.m.8:50~/日本時間:2月16日(月)a.m.4:50~
※北村匠海、内山拓也監督 参加
■衣装情報
・北村匠海の衣装(タキシード):DIOR
③ 公式上映後の上映会場の様子、Q&Aの様子 ※上映開始時間は現地時間の21:30




現地時間:2月15日(日)p.m.23:30頃/日本時間:2月16日(月)a.m.7:30頃
※北村匠海、内山拓也監督
光岡兵庫(本作撮影)、福島奈央花(本作美術)、永井拓郎(プロデューサー)、 宮前泰志(プロデューサー)、佐藤菜穂美(プロデューサー)、本間綾一郎(プロデューサー)参加
▼Q&A
Q:監督への質問です。映画の舞台となった場所はどこでしょうか。なぜこの場所で大地の物語を伝えることが重要だと思われたのでしょうか。
(監督)物語の舞台となっているのは、日本海の海沿いにある新潟という街で、自分が東京に出るまでずっと過ごしていた街です。物語の着想は、自分の個人的な経験に根ざしている部分と、もう半分はそれらを映画的に再解釈して再構築していきました。今、世界中でいろんなことが起きていますが、どう未来へ向かうのか? どう希望をたぐり寄せるのか?というところを、小さな世界から大きな物語に転換しました。その背景には社会や文化、政治みたいなものが密接に絡んでいて、それは僕にとって重要なテーマだったんです。そして、そのことは日本だけでなく、世界中で認識し合えるものになると思い、今の時代に一番必要な要素だと思って、主人公・大地に寄り添いながら、その世界を見てみようと思いました。
Q:世代の異なる大地を演じた4人の俳優は、見た目はそれぞれ違いますが、共通しているのは彼らの感情面です。どのように俳優へ演出をされていましたか。
(監督)今回、4人の俳優で大地という役を“リレー”しているんですが、ここにいる北村くんも含めて、4人を選んだ理由は“目”でした。目は“心の窓”だと思っていて、目が大地の目であれば、俳優が違ってもリレーは完成するのではないかと思い、彼らに託しました。演出について一番意識したのは「リアリズムってなんだろう?」ということです。生きている現実と映画のリアルというものは必ずしもイコールではありません。(大地が)さまざまな経験をしていくというリアリティをどう積み上げていくかという部分で、僕は“感情”ではなくて“感覚”を大事にしました。それが今回のタイトル『しびれ』(NUMB)にも繋がっています。感覚を取り込むために、走るとか、ものをとる、とか、ひたすら“動き”のリハーサルを重ねました。そして動きからこぼれ落ちるところに感情があるというか、そこに感情が追いついてくるんじゃないかというところを、俳優と一緒にアプローチしていきました。僕から「こう演じてくださいということは一切言わずに、そこから見えてくる景色を一緒にみよう、探してみよう、と。年齢関係なく、彼らと目の前の世界を一緒に泳ごうと思っていました。
Q.北村さんにお伺いします。どのようにして役作りをされたのか、どのような話を監督とされていましたか。
(北村)はい、まずは僕の声を聞くのはみなさん初めてかと思います(会場は笑い声と拍手に包まれる)。
僕が演じた大地は、声を発さず、見ることしかしないというキャラクターです。僕は、この映画で使われている膨大な“余白”は日本映画特有の魅力だと思っています。そしてこの余白をどう泳ぐか?は僕にとって大きな課題でした。なので、内山監督とともに“何を感じ、何を手に取って、どこを歩くのか”―――それを日々撮影する中で、一緒に掴んでいった感覚があります。そして大地は僕1人で成り立つキャラクターではありませんでした。僕以外の3人が繋いでいった大地を撮影クルーが見守ってきたその時間こそが大地を作り上げていたし、最後、僕にバトンを渡してくれたと思っています。
Q.他の大地役の俳優との会話はあったのでしょうか?
(北村)スケジュールの都合もあって、一度も彼らとは会えなかったんです。それは僕にとってものすごく不安として残っていたんですが、僕が撮影現場に入ったその日に、撮影クルー全員が僕にそれまで見てきた大地のことを愛おしそうに話していて……。これだけ全員が大地を見守ってきて、支えてきて、歩いてきた現場だったからこそ、彼らがどんな演技をしていたかを話さずとも、僕には3人の歩んできた時間がわかったんです。撮影クルー全員に恵まれた現場でした。
Q.この映画はフィルムで撮影されています。非常にフィジカルな物理的なものを感じ取ることができます。その中で音が重要だったのではないかと感じています。音とビジュアルは、本作においてどのような役割を果たしていますでしょうか。
(監督)音に関していうと、僕は世の中って音楽であふれていると思うんです。この映画においては、風の音、雪の降る音、大地を踏み締める音であふれている。それらが奏でる音が、新潟という街にはあるんですよね。それを大地の体験として、お客さんにスクリーンを通して伝えられると思っていました。また、音を活かす画も重要でした。今回は16ミリフィルムで撮影し、ヨーロピアンビスタという画角を採用していますが、フィルムは物質的で焼き付けるという行為がデジタルとは決定的に違います。今回、撮影の光岡兵庫が撮った画は、一見荒々しくて、その場で即興的に撮ったという印象を持たれるかもしれませんが、そこに至るまでには、“追いつけそうで追いつけない、現実を見ているかのような体感”にしたいという考えのもと、たくさんリハーサルを重ねていきました。撮影もそうですが、画づくりというものは、照明や美術、録音も合わさって初めて完成するものです。リハーサルのアカデ、役者と連動した緻密な設計をしているつもりではありますが、スクリーンの左を過去、右を未来として置くのを僕は映画の文法として信じていて、大地のクローズショットはほとんど常に右から撮っています。でもいくつかのシーンだけは、左から撮っています。それが映画の中でどう生かされるのかを意識していました。
| <ベルリン国際映画祭とは> ドイツの首都ベルリンで開催される国際映画製作者連盟公認の国際映画祭。カンヌ国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭と並び、世界三大映画祭のひとつに数えられ、歴史と権威を併せ持つ。世界的大都市で開催される事から注目度も高く、圧倒的な存在感を示し続けている。特徴として社会派作品が集まる傾向があり、受賞作品の多くは世界的な興行で成功を収めている。これまでに400本以上の日本映画が上映されており、黒澤明監督、宮崎駿監督、濱口竜介監督など、数多くの監督や俳優が賞を受賞してきた。第76回目となる2026年は2月12日~2月22日まで開催される。 |
| <パノラマ部門とは> 部門ディレクターが優れていると判断した作品群を上映。 コンペティションの賞の対象外ではあるが、観客賞をはじめとした、 特別賞の受賞候補作品が上映される部門。 |
映画『しびれ』

曇天に覆われ、大きな波がうねる日本海沿いの町に暮らす少年、大地は、幼少期に暴君のようだった父の影響から言葉を発しない。今は母の亜樹とプレハブで暮らしているが、水商売で稼ぐ亜樹はほとんど家に帰らず、生活は苦しい。やがて亜樹と共に叔母の家に身を寄せるが、どこにも居場所はなく、ひとりで過ごしては内気になっていった。そんな中、大地は父の行方を求めて生家を訪ねることを決意。これを境に、彼の運命は大きく揺らいでいく。心のよるべなき貧困、誰にも見つからぬように生きる孤独の中のささやかな救い、憎くて愛しい母への複雑な感情。流されるままに生きているようで、歩みを止めない大地。そんな彼がかすかな光を手繰り寄せ、息をのむような大きな愛を知るまでの20年間が、徹底した少年の視点で綴られていく。

監督・原案・脚本:内山拓也
出演:北村匠海 宮沢りえ
榎本 司 加藤庵次 穐本陽月
赤間麻里子 / 永瀬正敏
企画・制作:カラーバード 製作幹事・制作プロダクション:RIKIプロジェクト 配給:NAKACHIKA PICTURES
https://shibire.jp
9月25日(金)TOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開

-
映画『愛のごとく』舞台挨拶、古屋呂敏と宮森玲実が語る「愛」の正体 井土紀州監督と共に明かす撮影秘話とタイトルの真意
-
映画『愛のごとく』ヒロイン・宮森玲実インタビュー:「私はブタ、あなたはクモ」象徴的な台詞の裏側と、彼女が体現した「一世一代」の情愛