山口県岩国市を舞台に、再開発によって消えゆく街並みや閉館した映画館の姿、そこに生きる人々の記憶を描いた映画『かぶと島が浮く日』。本作で企画・プロデュース・主演を務めた地元出身の俳優・松林慎司さんは、かつて意地を張って離れた故郷と向き合い、片山享監督とともに「原点回帰」の物語を作り上げました。市民ボランティアの協力のもとで撮影された本作に込めた想い、忘れがたい撮影裏話、そして作品が問いかける「大切な記憶の抱き方」について、松林さんが言葉を尽くして語った特別インタビューをお届けします。

- 1. ▼俳優を志したきっかけ
- 2. ▼「還る場所」を持ったことによる変化
- 3. ▼岩国と福井、映画にまつわる2つの街のエピソード
- 4. ▼ドキュメンタリー(記録映像)と「物語(フィクション)」の遺し方の違い
- 5. ▼「今もかぶと島が浮いて見えるか?」
- 6. ▼観光地を排した「日常の風景」と、作品に登場する建物や食べ物
- 7. ▼象徴的なセリフ「俺は、忘れんよ」について
- 8. ▼「失われていく世代」と「新しい芽を育てる若い世代」の対比
- 9. ▼岩国の方々とのエピソード
- 10. ▼【片山監督からの質問1】松林慎司の喜怒哀楽を余すことなく表現することについて
- 11. ▼【片山監督からの質問2】「好きなシーン」はどこですか?
- 12. ▼映画をご覧になるお客様へのメッセージ
▼俳優を志したきっかけ
ー:俳優を始めるきっかけを教えてください。
松林慎司(以下、松林):小学生の頃から漠然とした憧れ自体はあったのですが、決定的なきっかけは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見たことです。マイケル・J・フォックスのお父さん役の俳優さん(クリスピン・グローヴァー)の情けない父親を演じるお芝居を見て、映画の中で生きてる人物にすごくもどかしさをかんじて、「こういう世界があるんだ」と気づいたのが最初でした。高校卒業後はいきなり東京へ行っても生活できず圧倒されて帰ってくると思ったので、まずは広島で3年住んでお金を貯め、22歳の時にスポーツバッグ2つを持って新幹線で上京しました。夕方くらいに東京についたのですが新幹線の中から見た有楽町あたりのビル街の景色は今も鮮明に覚えています。
▼「還る場所」を持ったことによる変化
ー:若い頃に地元を離れてから「還る場所がある幸せ」に気づき、故郷を受け入れるに至った境地の変化について教えてください。
松林:20代や30代前半の頃は「結果が出るまで帰んねえぞ」と意地を張り、2年ほど地元へ帰らなかったり、帰っても正月をあえて外して親戚に会わないようにしていました。ですが30代中盤、東京での生活に疲れを感じて帰省する際、山陽本線の車窓から見える工場地帯を目にしました。それは22歳で岩国を出て行った日に車窓から見た最後の景色で、「あ、俺は帰れるところがあるんだな」とそのありがたみに気づいたんです。両親も高齢になり、昔お世話になった近所のおばちゃんたちがいい歳の取り方をされているのを感じて、自分自身が歳を重ねて初めて故郷への想いに気づきました。
その後、市長にお会いする機会があって、「観光大使になりたいです」と自ら立候補しました。片山監督に最初に伝えた「原点回帰」という言葉には、一度外に出て戻ってきたからこそ、東京での生活と生まれ育った岩国の町を違う角度から見直し、新しい発見や見直しをして形にしたいという想いがありました。
▼岩国と福井、映画にまつわる2つの街のエピソード
ー:片山監督の作品は『いっちょらい』『時のおと』『かぶと島が浮く日』と続いていきますが、共通点というか、描き方に似ているところを感じますね。
松林:そうですね。地方都市と言ったら変ですけど、僕も福井にはすごくお世話になっていて。2012年頃だったと思うんですけど、僕の事務所の先輩の津田寛治さんが福井で短編映画を撮るという情報をいち早く仕入れたんです。僕くらいの年齢の男性が出てくるということで、津田さんにお願いしに行ったんですよ。「出させてくれ」って言ったら、「だめだめ、今回は福井の皆で作るから。しんちゃん山口の人でしょ、入る隙ないから」って断られたんです。
少年と老人のすごく良いお話でどうしても出たくて、「どうやったら出られるんだろう」と考えて、「あ、そうだ。福井市民になればいいんだ」と思って、住民票を東京から福井に移したんですね。住民票を持っていったら津田さんも「ばかな俳優がいるね〜」とか言って笑われて。そのまま福井に行ったら皆さんも喜んでくれて、一気に仲良くなれたんです。
住民票は結局、税金やら何やらで色々とややこしいことに気づいてすぐ戻したんですけど(笑)。でも、そこから「福井駅前短編映画祭」に繋がったり、片山君が最初に『いっちょらい』の短編を撮るきっかけになった「ムービーハッカソン」に繋がったりして、長編の『いっちょらい』にも結びついていったんです。
街を見ている中で、地方都市と言ったらどこも一緒なのかもしれないですけど、「福井も岩国も変わらないな」というのがあって。半年ぶりに行ったら「おかえり」って言ってくれるような空気があるじゃないですか。それがすごく嬉しいんです。僕が岩国に帰った時に「おかえり」と言われるのは当たり前の感覚があるんですけど、福井に行った時に「おかえり」と言ってもらえるのは格段に嬉しいなっていうのがありますね。
ー:通っている場所で「おかえり」と言ってもらえるのは、すごく嬉しいですよね。
松林:そうなんですよね。「行ってらっしゃい」とは言ってくれないんですけど、「じゃあ僕帰ります」と言っても「行ってらっしゃい」とは言わずに、「おかえり」と言ってくれることがすごく嬉しいです
▼ドキュメンタリー(記録映像)と「物語(フィクション)」の遺し方の違い
ー:地元や取り壊される映画館を残すにあたり、ドキュメンタリーのような記録映像ではなくフィクションである「物語」として残そうと考えられた経緯についてお聞かせください。
松林:自分はクレジット上はプロデューサーとなっていますが、恐れ多くあくまでも現場責任者です。「企画・主演」であり、責任者として資金集めなども行いましたけれども。最初は自分の持ち出しで50万から100万円くらいで東京から俳優さんを1人呼んで片山監督と短編映画を作り、映画祭などを通じて岩国の街を知ってもらおうと考えていました。
そんな中、12年前に閉館した映画館「岩国ニューセントラル」の建物がそのまま残っていると聞き、片山監督と見に行きました。建物は2025年頭から立ち入り禁止となり取り壊されることが決まっていて時間もありませんでした。そこで短編から急遽長編へ変更し、片山監督と夜中まで缶チューハイを飲みながらどうするか話し合ってスタートしました。勢いつけないと出来ないですから(笑)
12年前に閉館してそのままの姿形が残っている劇場と、街の人たちの繋がりや思い出を、映像や物語を通じて残せたことはすごく良かったと思っています。これは岩国だけでなく、他の地方都市で劇場がなくなっていく中でも通じるものがあると感じています。
▼「今もかぶと島が浮いて見えるか?」
ー:片山監督から「今も島が浮いて見えるか」と聞かれた時の状況や、かぶと島が浮いて見える背景について教えてください。
松林:喫茶店の喫煙室のような場所で片山監督と話しました。気象条件で島が近く見えたり遠く見えたりするのもあるのですが、毎日同じ景色を見ている中で「あれ、今日はなんか浮いて見えるな」と感じる時は、自分にとってすごく気分がいい日だったんです。自分の心の置かれている状態を、かぶと島を見て感じていたんですよね。
片山監督から「最近はどうですか?」と聞かれ、「最近は浮いて見えない」と答えました。実際の撮影期間中も、真っ青な空と海に島がくっきり見えたり、少しガスっていたりして、短期間の中で島が色々な表情を見せてくれたのはすごくラッキーでした。
▼観光地を排した「日常の風景」と、作品に登場する建物や食べ物
ー:錦帯橋のような観光地を映さず、作品に取り入れた建物や食べ物を選んだ経緯をお聞かせください。
松林:岩国に住んでいる人たちは普段錦帯橋へ行きませんし、行くとしても小学生の時の写生大会くらいです。片山監督もリサーチした上で「行かない」というリアルを汲み取り、あえて錦帯橋を映さない選択をしました。その代わりに駅前アーケードのアーチ状の形状を入れています。有名なお店の「山賊」もよく行く場所でもあるのですが、観光として有名であったり、片山監督自身が店には行っていないのもあり、日常の映画にするため映していません。
また、朝食のシーンではさりげなく岩国の郷土料理である「大平(おおひら)」を食べているなど、日常的なものが作中に盛り込まれています。
[参考:大平]
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/43_8_yamaguchi.html
▼象徴的なセリフ「俺は、忘れんよ」について
ー:作中で象徴的な「俺は、忘れんよ」というセリフを発した時の状況や心境について教えてください。
松林:当時は企画・主演としてまた現場責任者としての安全管理や事故が起きないかという緊張感で頭がいっぱいでした。そんな大変な状況になるだろうと分かっていたんでしょうね。片山監督の今まで参加した作品にはなかったのですが、あらかじめ幹男の「自分が何代目で、父親が何歳の時に亡くなった」といった詳細な履歴書・設定を書いて渡してくれていたんです。
片山監督からも「すごく好きなシーンです」と言われましたが、僕的にはあまり言いたくないのですが・・・役として降りてきているようなわの感覚がありました。詳細な人物像を頭に入れて現場に立ったことで嘘じゃない感情が出てきたのだと思います。観た人によって色々な受け止め方ができる良いシーンになりました。
▼「失われていく世代」と「新しい芽を育てる若い世代」の対比
ー:作中で描かれる「失われていくもの」と、特産のわさびを使った新メニュー開発に励む若い世代(登くんたち)の対比を取り入れた経緯について教えてください。
松林:隣の和木町に茨城から移住してきて、地域おこし協力隊のような活動をしている村井君という人物が身近にいました。片山監督が脚本を書くにあたり、身近にいたそういう都会から移住して起業するような若い世代の存在を参考に設定へ取り入れていったと思います。
▼岩国の方々とのエピソード
ー:地元・岩国の方々(いわくに映画製作委員会など)とのエピソードや、撮影で印象に残っているシーンをお聞かせください。
松林:僕の母校である岩国総合高校は2032年に岩国商業高校との統合が決まっているのですが、数年前、野球部OBで80歳になる元監督からノックを受けた思い出のグラウンドや、移転直前だった市立美和病院の旧病棟など、失われゆく岩国の景色を映像として残せたことは本当に良かったです。好きなシーンとしては柴犬のジェームズとのシーンなども印象に残っています。
また、17名ほどの「いわくに映画製作委員会」の方々が、消防署の許認可や現場の環境整備、根回しなどを全て手配してくださいました。先行上映会ではホール満席の景色を東京から来たキャストや片山監督に見せることができ、支えてくださった地元の方々には本当に感謝しています。
▼【片山監督からの質問1】松林慎司の喜怒哀楽を余すことなく表現することについて
ー:片山監督ご自身から「松林さんの喜怒哀楽を余すことなく表現したいと思って撮影に臨んだ」というコメントがありました。この点についてどのように感じていらっしゃいますか?
松林:幹男という役を通じて喜怒哀楽を見せたいということは、最初におっしゃっていました。信弘(ドロンズ石本さん)とのシーンや人の繋がり、優しさの部分など、ありがたいことに色々な表現をさせてもらったなと身にしみて感じています。
片山監督はロケハンの際に僕の実家や通学路、高校などを一緒に回ってくれました。高校で「当時の野球部の監督に集まってもらって80歳になる監督からノックを受けたんだ」という話をした時、大人になった僕たちへの励ましのノックのように感じてくれたり、藤生駅でカップラーメンを食べた話をしました。机を挟んで話すだけでなく、最初に現地に来て一緒に見て回ってくれたことがすごく大きかったと思います。
▼【片山監督からの質問2】「好きなシーン」はどこですか?
ー:片山監督からのもう一つの質問として、シンプルに「好きなシーンはどこですか?」とお聞きしています。
松林:もちろん柴犬のジェームズとのシーンもそうですし、部員2名だった野球部の現状や元監督からのノックを彷彿させるのシーン、撮影の3ヶ月後に新病棟へ移転した美和病院のシーンなど、色々といいシーンとロケ地を撮ってくれたなと思っています。
▼映画をご覧になるお客様へのメッセージ
ー:最後に、これから映画をご覧になるお客様に向けたメッセージをお願いします。
松林:この映画は着想自体は岩国なんですけれども、多分誰でもどこででも経験していくような、これからの人生の中にある出来事が描かれていると思います。みんなが集まっていた映画館がなくなっていく切なさであったり、景色や建物、そして人間関係や人の繋がり、優しさといったテーマを感じ取っていただけたらありがたいです。伝えたいことはたくさんありますが、そういった温かい部分をスクリーンから見ていただけたら嬉しいです。

