第3回大島渚賞記念上映会「トークショー」。藤元明緒(第3回受賞者)x黒沢清x大島新

第3回大島渚賞記念上映会「トークショー」。藤元明緒(第3回受賞者)x黒沢清x大島新

4月3日、東京・丸ビルホールにて、第3回大島渚賞上映会およびトークイベントが開催。トークショーには、黒沢清監督、大島新監督、そして今回受賞された藤元明緒監督が登壇。両監督からは『海辺の彼女たち』を観た感想と質問を藤元監督に投げかけられ、本作について、ドキュメンタリー映画ではない理由について、トークが展開された。

大島渚賞

左から)藤元明緒監督(第3回受賞者),黒沢清監督, 大島新監督

■ 第3回大島渚賞 記念上映会 トークショー

-ではもう早速なんですが、『海辺の彼女たち』を今、スクリーンで観た、ホヤホヤの黒沢監督に、藤元さんへのお祝いとともに、一言いただけますでしょうか。

黒沢清監督
映画『海辺の彼女たち』をスクリーンで観るのは、今日が初めてです。素晴らしい作品だなと再度認識を新たにしました。
ずっと3人の女性が、本当にこの3人でないと生きていけないというか、ずっと3人で全てに立ち向かっていくわけです。船とか電車、バス、自動車を3人で運命に連れ去られるように、どっかに向かって行く。それでも3人でいれば大丈夫だと、
進んでいくんです。
後半は突如1人、フォンという女性が、たった1人になってまた乗り物に乗るんですけど、たどり着けず、ただ病院に行くだけなんですけど自分の足でずっと歩いていく。過酷な現実に彼女は立ち向かっていく、もう頼れる人は誰もいないということで、突き進んでいく姿が本当に感銘を受けました。
それで最後に彼女はある決断をするんですけれど、彼女が最終的に決断する瞬間に、彼女が背負ってきたいろいろなあらゆる社会的な背景とか様々な問題を全て集約されつつも、それとは関係ないところで彼女が本当に決断したというところにある種の“すごいな”っていう点に僕は感銘を受けました。
感銘を受けるところではないのかもしれないし、いろんな問題があるということではあるんですが、その問題を乗り越えて、過酷な決断を彼女がたった1人でしたことはすごい立派な…立派っていうには、モラルに反する行動なのかもしれませんけど、そういったすごい人の一種のディシジョン(決断)というか、普遍的な主人公像をあの瞬間みた、っていう気がしています。
こういう題材を扱って、こういう撮影方法、ああいう登場人物たちでいながら最後こんなに、ある清々しい…という表現が合っているかどうかわからないんですけども、ある普遍的な感銘にまで持っていくすごい映画だなと思いました。

大島渚賞
黒沢清監督

-藤元さん、緊張してしまいましたね。

藤元明緒監督
そうですね。

-もうこんなに褒められると。言葉がないという感じの様子なので、先ほどから、この作品はドキュメンタリー性みたいなことが話題に上がっていたんですけれども、それもありまして大島監督に最初から、ご登壇いただいてその辺のこともお伺いしようという目論見があったんですが今、黒沢さんがそのように言われるとその話に行くのは難しくなってきましたね。

黒沢清監督
いえいえ、僕がこんな風に仕切っていいのかわかりませんけど、すごくドキュメンタリーのように見えるんですね。それで、さっきは立ち話でも聞いたりしたのですが、「この3人の女性って俳優なんですか?」って聞いたら、「もちろん俳優です」と、まだ俳優の卵のような人もいるらしいんですけど、彼女たちは自分が何を演じているかっていう意識をして演じている。そうだろうと思ったんですね。
演じているとはとても見えないんですけど、でもよく見ると、今回2回目観ていくつかのショットは明らかに演じているということがわかりました。それは彼女が、決断することですね。
他の2人には全く何も言わずに食事して、途中で一度、すっと顔をあげるんですね。それでもう1回食事して、最後かな。やはりすっと顔をあげるあの表情。「彼女はもう決めた。誰にも相談せず、自分で決断した」という瞬間の表情、あれは多分女優でないとできない。
全く普通の人だと、ああいう表情は多分できない、女優ならではのある種の普遍性を持った決断の表情に見えました。ほんのそういう瞬間にはちゃんとフィクションの力というのをうまく利用しているんだなと今回思ったんですが、でもほとんどドキュメンタリーのように見えてしまう。

審査員の一人が、そこにやや疑問を持たれたんです。「これはドキュメンタリーでもよかったんじゃないか?この映画がドキュメンタリーじゃない理由ってあるのかしら?」っていう素朴な疑問を持たれておりました。
僕はドキュメンタリーを撮ったことがないので、その違いがよくわからない、できた作品ってほとんど違いがないような気もしますけど、作る過程は多分全然違うと思うんです。
藤元さんには、この素朴な質問をそのまま投げかけますけど、「これはドキュメンタリーではない理由、これはドキュメンタリーでなくてよかったのか」っていう素朴な質問をされるとしたら、いかがでしょうか。

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藤元明緒監督
そうですね、いくつかの前提の理由はあるんですけど、そもそもとしてドキュメンタリーとしてこの題材を撮ってしまった場合には、出演者の方々に不利益が生じてしまうおそれがあるということがまず大きな前提としてあります。
内容がどうとかじゃなくて、パッケージの問題なんですけど、実際の方々で、実際に起きていることっていうのは、まずドキュメンタリーではできないというところから最初はスタートしています。ただそういった前提ではなく映画的な話になってくると、僕はドキュメンタリーを一本仕上げたことがないので、ちょっと不透明ではあるんですけれども。
僕の中ではフィクションって、現実世界は起きてないんですけど、起きえた事実というものを一度芝居を通して、また、虚構なんですけれども、事実性というものを追い求めていくような手法というものが僕にはしっくりきています。
演じ直すことで事実じゃないんだけど、あったであろう事実っていうのをもう一回、もう一度その彼女たちとか出演していただいてる方々の身体表現を通して、またその虚構を見つめることが現実に生きている僕たちの暮らしの中で何が必要なのかとか何が大事なのかっていうのが回帰してくるような気がしているんですね。
ただ、本質的に僕はドキュメンタリーなのかフィクションなのかっていうのはそこまで、めちゃくちゃこだわっているわけではないですね。それが仮にドキュメンタリーでアプローチできるという直感が働けば、ドキュメンタリーになったであろうし、僕は芝居が好きなんですね。

大島渚賞
藤元明緒監督(第3回受賞者)

黒沢清監督
でも通常の俳優がやる・普通やってしまうような芝居はことごとく禁じてますよね。

藤元明緒監督
そうですね。動きのリズムというか時間感覚。いわゆるシークエンスの限られた時間内でのリズムっていうのはなるべくやらないようにっていう制限は現場ではやってるんですけれども。
それこそ本当に日常のリズムに近い仕草だったり動きであったりダイアログ、発言とかも、そこはなるべく意識しているところではあります。
やっぱり映画の世界にしかこの人たちは生きてないんだって思ってしまうと困るなと思っていて。映画なんですけど、彼女たちを見つめていると、もしかしたら自分たちの住んでいる近くにもいるかもしれないとか、何かその親密な関係性を落とし築く上でそういった日常に近いリズムっていうのを持ち込んで、それを彼女たちは本当に体現してくれたなって思っています。

黒沢清監督
ドキュメンタリーを作っている大島新さんはいかがですか?

大島新監督
私も拝見して、まさにドキュメンタリーを観ているようだなというふうに思ったのと、「これは、映画を作るために・シナリオを作るためにどれぐらいの取材をなさったんだろう」っていうのがすごく興味深く思いました。これだけのリアリズムっていうのを映画に持たせるっていうのは、やっぱり取材なしにはなかったと思うんですね。
主人公の3人の若いベトナム人の女性もそうですけれども、そこで働いてる人たち、そんなにたくさん出てこないけれども、日本人だったりあるいはベトナム人のブローカーのようなと言ったらあれかもしれませんけどもそういった存在の人たちの、
風合いというか人間的な空気感とか、そういうのもすごく取材なさったのかなと思いました。あと風景もありますよね。青森で弘前の方ですかね。

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大島新監督

藤元明緒監督
竜飛崎のあたりです。

大島新監督
そうですか、そのああいった風景とかでも、すごく印象的なショットがすごくたくさんあったと思うんです。どうフィクションとして見せるときに、あの風景をどう入れ込んでいくのが効果的なのかっていうことも相当考え尽くされて撮られたんじゃないかなと思いまして、そういったその取材部分っていうのをぜひ藤元監督にお聞きしたいと思って今日は来ました。

藤元明緒監督
そうですね取材は約1年弱ぐらい、実際に彼女たちのような方々を保護されている団体さんとか集団機能を持ったような場所にお話を聞いていったって形ですね。ただそれは脚本を構築するためっていうよりは、まずは僕であったりチームであったり、何かそういった、まず現実世界でどういうことが起きてるかっていうのを聞いて心を整えるといった感じです。
なんか、それ通りにやりたいわけではなくて、何かをまず浴びて、スタートラインに立つための取材っていう意味合いが結構強いと思います。
あとその取材っていうよりは、普段の会話の中からいろいろ拾っていきました。僕の妻も、技能実習生ではないんですけど、海外から来た方で妻の日常の中で感じたものとか、それは良いも悪いも楽しい、悲しいも含めていろいろ日常的に聞いている部分から、そこはかなりこの映画に影響されているところではあります。

大島渚賞

大島新監督
我々もドキュメンタリー、例えばああいう現場があったとして、いきなりカメラを回すことはほとんどなくて、まれになくはないんですけれども、基本的にはその取材とかをしたうえで、ではこういった現状がある中で、それをどういうシーンを撮れば、ドキュメンタリーとして良きものになるかっていうことを考えて、その撮影に臨んだりもするので、そういう意味で言うともちろんフィクションとドキュメンタリーは全く違うものではあるんですけれども、何か共通する部分っていうのもあるのかなっていう気はしましたね。
我々もドキュメンタリーと言いつつ、事実を撮ったもので物語を作っているっていうことは一緒だと思うので、ちょっと何かそんなことを感じながら観ていました。

大島渚賞

藤元明緒監督
あとは脚本を書く撮る側の僕らも取材するんですけど、キャスティングですかね。
何か自分にとって遠いキャラクターを演じているってよりは、そもそも彼女たちの人生にとってこの物語であるとか、外に出ていって、出稼ぎに行くとかそういった行為自体がすごい身近なものだったんです。その観点からオーディションをベトナムでやらさせていただいて、何かそうした元々の彼女達が持っている歴史であったりその土台っていうものを、映画を作る上で力を貸していただけたってのは本当にドキュメンタリーのように見えるっていうのはそこにも関わってくるのかなと思っています。

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「大島渚賞」について


PFF(ぴあフィルムフェスティバル)が、2019年に新たなる映画賞「大島渚賞」を創設し、今年で3年目。「大島渚賞」は、映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする、若くて新しい才能に対して贈られる賞。
かつて、大島渚監督が高い志を持って世界に挑戦していったように、それに続く次世代の監督を、期待と称賛を込めて顕彰する。
選考は、「日本で活躍する映画監督(劇場公開作3本程度)」、「原則として前年に発表された作品がある」監督を対象に、大島渚監督作品を知る世界各国の映画人より推薦を募り、審査員が授賞者を決定。

「第3回大島渚賞」は、審査員長である坂本龍一氏(音楽家)、審査員の黒沢清氏(映画監督)、荒木啓子(PFFディレクター)の討議により、ベトナム人女性労働者たちを描く長編第二作『海辺の彼女たち』が昨年公開され話題を集めた、藤元明緒(ふじもと・あきお/34歳)監督に決定。
4/4(月)の授賞式には、大島渚監督のご子息で昨年公開の監督作『香川一区』がロングラン上映中の大島新監督にも登壇予定。

大島渚賞公式サイト: https://pff.jp/jp/oshima-prize/

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