去る2022年10月1日(土)から新宿ケイズシネマにて、2週間上映を行った「HAKUSHI PROJECT」。『HAKUSHI PROJECT』とは、俳優主体のクリエイティブ集団「ワークデザインスタジオ」(代表:澤田和宏・浅沼直也)が手掛ける映画製作と劇場公開を目指す取組。
その共同代表のひとり、澤田和宏さんと、所属俳優・佐々木穂高さんにお時間をいただき、ワークデザインスタジオの成り立ちや、先輩・後輩関係というお二人の出逢いのきっかけについて思う存分お話しいただきました。
■「ワークデザインスタジオ」の成り立ち
▼「ワークデザインスタジオ」共同代表:澤田和宏、浅沼直也監督の出逢い
澤田和宏
僕と浅沼監督は17年ほど前からの付き合いになります。当時僕が所属していたプロダクションに、浅沼さんがワークショップに講師として呼ばれたんです。30名ほどのプロダクションのメンバーでそのワークショップを受けた後に、浅沼監督と僕は二人で好きな映画の話をしました。
その時に僕は、「塚本晋也監督の『鉄男』(1989)が大好きなんです。」と話をしたところ、浅沼さんも大好きとのことで、それがきっかけで朝まで飲みに行ったということがきっかけになります。
浅沼監督とは、役者と監督の関係ではありますがプライベートでも、「この映画、すごい面白かったよ」と教えあう交流を進めるなかで、金子正次主演の『竜二』(1983)を薦められました。
それを観て僕は衝撃を受け、「こんな映画をやりたい・作りたい」と思って、2人で映画作りをスタートしたんです。それが僕が20、21歳のくらいの時のことになります。
▼「ワークデザインスタジオ」の立ち上げ
澤田和宏
そこから二人で一緒に歩んでいく中で、短編、長編を含め、映画を何本も作りました。
そして、ちょうど今から4年ほど前に、“お芝居が大好きで気心が知れた仲間”、“それぞれの業界で出会ってきた身近な俳優”に声をかけて、「一緒にお芝居の勉強の場をきちんと作りたい」、「信頼のできる俳優に出会いたい」、「芝居がうまいだけじゃなくて人間性も確かな、気の合う人と映画を撮りたい」という思いで2人でスタートしたのがワークデザインスタジオ(以下、WDS)になります。
最初はそれぞれが知っている付き合いのある俳優に声をかけて、7人ほどでスタートしました。
毎週日曜日の13時から17時の中で休まずにずっとワークショップをやり続けたんです。
自分たちの知っている監督にご連絡して、「ちょっとお芝居見てほしいですけど…」と言ってお越しいただきました。
当時はコロナ前で、謝礼に関してはワークショップ後に、お酒やお食事をごちそうするといった形でいらしていただくことを2年ぐらい続けました。
▼「HAKUSHI PROJECT」自体はどういうきっかけで企画されたか?
澤田和宏
僕の中で、「ワークショップを2年も続けているから、そろそろ日曜日だけのワークショップをやっていても、実にならない」と思ったんです。
内で芝居の勉強をして、外でそれを活かせるようになればいいんですけど、きちんと実・成果物として何かを皆で作りたいという思いが湧いたタイミングだったと思います。
そういうときに共同代表の浅沼さんと喋って、「じゃぁ、作ろう!」ってなりました。
-身近な所に監督がいらっしゃると心強いですね。切磋琢磨する練習の場から、いよいよ本番というか、その成果を発揮する…といった流れになりますよね。
澤田和宏
そうですね。土屋さんも「HAKUSHI PROJECT」の舞台挨拶で言ってくれたのですが、ワークショップの初期段階ではみんなすごい下手だったという話がありました。土屋さんは4年前にWDSを始めてから3回目のワークショップに来てくれたんです。
「HAKUSHI PROJECT」の企画が始まって久しぶりに来ていただいた時に、「みんな上手くなったね」、「みんな役者になっている」って言われてすごくうれしかったです。
▼「HAKUSHI PROJECT」スタート
澤田和宏
いよいよ作品作りということで、今回の『HAKUSHI PROJECT』がスタートしました。
ワークショップをしているときから、お金の面でのシステムのルールはほとんど変わっていません。
映画監督のワークショップって、その監督によって、1回、数万円といった相場があると思います。
WDSのワークショップは毎週日曜日のみの開催なので、1ヶ月に4回開催すると考えて、4回出席したら、その相場に相当する金額感でずっと活動を続けています。
今回の『HAKUSHI PROJECT』は2ヶ月間かけてワークショップを行って作品を撮るので、2ヶ月分の計算にしています。
ワークショップ参加者から搾取することにならないように2人でずっと考えてきました。
昨今、映画のワークショップって印象の悪いものとして扱われる風潮があるので、「そうじゃないよ」ということと、ワークショップへの参加にあたっては、“出資”という形でみんな均等な額を支払い(出資)していただいて、もちろん役の大小はありますけど作品に出演していただいてそれを劇場で上映し、回収できた分をきちんと公平に配分することを謳っています。
▼「HAKUSHI PROJECT」の中身
-“HAKUSHI PROJECT”以外に、WDSと片山享監督がコラボした映画『とどのつまり』も同様に、2ヶ月間の中でワークショップを行ったことを別のインタビューでうかがいました。
澤田和宏
どの組もそうなんですけど、最初の1ヶ月間にある4回の日曜日で、役者の芝居の特性やどういう俳優かを知ってもらうフェーズになっています。
2ヶ月目の2週目ぐらいから、作品へのキャスティングが決まり出します。
佐々木穂高
監督も同時に、1ヶ月目の4回で、どういう人たちが集まっているのかを把握し、脚本をご自身でその短い時間の中で書き上げなければいけないことになっています。
役者も監督もどちらもハードだと思います。
▼「ワークデザインスタジオ」の立ち上げを振り返って
-WDSは、俳優と監督という組み合わせならではのスタートだったんですね。
澤田和宏
この業界の人って孤独だと思うんです。すごく孤独で一人でお芝居をやって、でも仕事がないときが多いと思うんです。舞台が無い時はアルバイトをやったりする中で、ささくれだつ瞬間ってあると思います。
そういう時に考えを共有できる仲間がいるとそれがすごい力になると思うんです。そういう仲間が欲しかったんですね。
-4年前に立ち上がったWDSの設立時は何人からスタートしたのでしょうか?
澤田和宏
だいたい7人ですね。信頼した仲間がまた信頼した人に声をかけてくるので、無条件でOKで仲間が増えていきました。
「誰々の紹介だからいいやつだ」なんていう前提で増えていったんですよね。
-『HAKUSHI PROJECT』の初日に、森戸マル子さんから「初期メンバーの…」といった話がありましたが、初期メンバーはどういった顔ぶれなのでしょうか?
澤田和宏
森戸マル子、園山敬介、折笠慎也、宮寺貴也、田中麻友、そして、真魚がいたね。
佐々木穂高
あぁ、カメ止めの。
▼「ワークデザインスタジオ」のコンセプト
-コンセプトがすごくしっかりしていると思いました。
特徴である、レベニューシェア方式を採用した経緯などを教えて下さい。
澤田和宏
今の日本の映画の作りの中でよく言われるのが、“ギャラの安さ”だと思うんです。
これは僕の主観なんですが、映画に出演させてもらえれば、「弁当代や交通費だけで行きますよ」って言ってしまう部分が、役者には少なからずあると思うんです。「とにかく、まず出演しなきゃ」という思いで。
-そういう話はよく聞きますね。
佐々木穂高
お金うんぬんよりも、「まずは映画に出てなんぼ…」みたいな
澤田和宏
それで観てもらう人がたくさん増えて、仕事に繋がっていくというのは、僕は否定はしません。
でも、僕はどちらかというと出演本数よりも、“どの監督と一緒に、どういう作品を作るか”という方が大事だと思っています。そのせいか、僕は出演本数自体は極端に少ないんです。本当に知った人としかやらないんで(苦笑)
そういうことを含めて、今の日本の映画界ってそんな状況だから、レベニューシェアできちんと分け合うことをやりたいと考えました。それは浅沼さんから提案していただいたことになります。
▼「ワークデザインスタジオ」の位置づけ
-始めたばかりの役者さんにとって、WDSの存在は心強いのではないかと思います。17年間という経験がある監督・俳優の2人がいらして、立ち上げた俳優集団なわけですし。
澤田和宏
そう言ってもらえたら嬉しいんですけど、当の本人にはあまり実感がなくてわかりません(笑)
最近、『HAKUSHI PROJECT』の上映期間中に劇場にいらした俳優さんから声をかけられて、「『HAKUSHI PROJECT』に参加してみたいです」とか「ワークデザインスタジオに入りたいです」言われることがあって、「そういう風に見えるんだ」って思いました。
僕たちの活動が、次の世代にも届いているんだなっていう思いと、活躍の場をずっと模索していかなければいけないなという思いがあります。
▼「ワークデザインスタジオ」のロゴについて
澤田和宏
ワークデザインスタジオのロゴは、“ツバメ”で、渡り鳥を意味しているんです。
ツバメは巣があって、巣立ったあとにきちんと帰ってくる。いつ飛び立ってもいいし、ちゃんと帰ってくる場所があるという意味が含まれています。
先ほど名前が出た初期メンバーの折笠くんは、『HAKUSHI PROJECT』の野本組の後に、「青森を拠点で頑張ります」といって地元の青森に帰って、青森のドラマやCMに出て、2年ぐらい過ごしてから帰ってきて、11月から東京で活動を再開しようとしています。
■先輩・後輩と呼ばれる澤田代表、佐々木穂高さんについて
▼佐々木穂高さんが役者をはじめたきっかけ
-佐々木さんが役者を始めようと思ったきっかけは?
佐々木穂高
高校を卒業して上京して、芸能スクールに1年間通い、事務所に所属する直前までいったんですが、諸事情でそのチャンスを逃し、やる気を失って、二、三年フリーターとして過ごしていたんです。
その時にもう1回役者をやりたいと思ったきっかけが映画でした。
そのきっかけになったのが行定勲監督の『GO』(2001)です。
澤田和宏
あれって、2001年の作品だよね。
佐々木穂高
はい、DVDを何気なく借りて、それを観たのがきっかけです。
「俺は、これをやりたいんだよな」っていうことに気づかされて、それでもう一回、芸能事務所に応募して、オーディションを受けて入り直しました。
なので、役者を始めたきっかけは、映画を観て奮い立たされたことですね。
▼佐々木穂高さんと澤田代表の共通点 ~その1:はじまり~
澤田和宏
それがいくつの時なの?
佐々木穂高
それが21とか22歳の時です。その時に奮い立たされて、役者をちゃんとやろうと思ったんです。
-21歳頃って、いろいろ起きるんですかね。
澤田和宏
多感な時期なんでしょうね。僕も21歳の時、自分が史上最強だと思っていました。敵なしだと思っていたよ。
だけど、仕事をちょこちょこやっていくと、巷でいういわゆるイケメン俳優に出会って話すんだけど、「あ、俺って違うんだな」って初めて気付くんです。「あぁ、これがポテンシャルなんだ」っていう。
そういうことに気付いて、このままじゃ駄目だなって、方向転換することになるんだよね。
▼佐々木穂高さんと澤田代表の共通点 ~その2:気づき~
佐々木穂高
改めて自分の価値や実力、格の違いを目の前で見せ付けられて、「そうか…周りってすごいな…」って。
澤田和宏
それに気づいたのっていつなの?
佐々木穂高
気づいたのは、まだほんの1年前で、25歳くらいの時です。
澤田和宏
最近なんだ。25歳というと、俺が気づいた時と一緒だね。やっぱり自分は最強だと思ってた?
佐々木穂高
最強というか、「何とかなるでしょ」くらいに思っていました。
25歳になったら、月9ドラマに出演しているだろうって思っていました。それで25歳になったのに「あれ!?」って(笑)
澤田和宏
僕と佐々木は10歳くらい違うんですけど、僕もその年齢の時に同じことを思っていました。
佐々木穂高
甘く考えていました。
澤田和宏
そこで気づいてまともな人はやめるんだよね。
佐々木穂高
そうですね。
澤田和宏
多分、そこで転職するんだよね。
▼佐々木穂高さんと澤田代表の共通点 ~その3:続けること~
佐々木穂高
続けるって才能だってよく言われますけど、自分に才能があるかないかという話は別として、続けることって本当に難しいなと思います。
-辞めるのにもすごいエネルギーが要るという話がありますね。
佐々木穂高
辞める時も勇気が要りますよね。
澤田和宏
俺27歳ぐらいの時に辞めようと思ったことがあったよ。しんどすぎて、「なんでこんなきつい業界でやっているんだ…」と思った。
その時親父がたまたま出張で東京に来ていて、その時に飯食おうって言われて、地元に帰ってこいっていわれたんだよね。その時に「うん」って言って、お店の人に写真を撮ってもらったんだけど、その時の写真の表情をみたらすごいやばい顔をしていたよ。顔に力が入ってないの。
でも、その時に周りに言えなかったんだよね。
佐々木穂高
周りに言うことさえ怖いですよね。
澤田和宏
いい解釈の仕方をすると、続けていれば続けていくほど、応援してくれる人っていうのは1年ずつ増えていくじゃん。出逢いがあるから、それで「辞めれねぇな」ってなっちゃったんだよね。それで続けてる。
佐々木穂高
それって、決して惰性で続けているわけじゃないんですよね。
澤田和宏
そうだね。
▼佐々木穂高さんと澤田代表の共通点 ~その4:模索~
-気づいた時には、どういう立ち位置で、自分の戦い方はどうすればいいかといった工夫をするようになっていくんでしょうね。
澤田和宏
なっていきますね。自分自身が面白くないから、どうしたら面白くなるかって考えて、ひたすらお笑いを見ていた時期もありますね。
佐々木穂高
模索する時期ですね。
澤田和宏
“売れている役者はプライベートも面白い“といったことを耳にして、「こういう場では、すごい盛り上げなきゃいけないし、どうしたらいいんだろう」なんて、ボケとツッコミを勉強したりね。
佐々木穂高
わかります。いろんな遠回りをしたり、いろんな考えや行動が巡りますよね。
澤田和宏
そういったことをやりつつ、自分の顔を客観的に見られないから、意外と役で髪の毛を全部剃って丸坊主にしたあたりから、「意外とこういう方向もいいな」といったことも思ったりしたね。
■佐々木穂高さんと「ワークデザインスタジオ」、「HAKUSHI PROJECT」
▼佐々木穂高さんの「HAKUSHI PROJECT」参加のきっかけ
澤田和宏
話は変わるけど、「HAKUSHI PROJECT」に参加したのって、企画が始まる前に、『再演』の土屋監督のワークショップに来たのが始まりだよね。
佐々木穂高
メンバーの大塚康貴くんから、「ワークショップに来る?」って、たまたま何気なしに声をかけてもらって参加しました。
澤田和宏
僕もそれはすごく覚えているんだ。すごい若いのに、お芝居をちゃんと正解を置いていく人だなっていうイメージがすごくあった。でも、仲良くなるイメージはなかったな(笑)
そこからまた1年くらい間が空いたんだよね。
佐々木穂高
音沙汰なしでしたね。
澤田和宏
HAKUSHIが始まって、「お前はワークデザインスタジオに入っているのか、入っていないのかどっちやねん。」って話になったよね。
佐々木穂高
突然1回だけワークショップに行った後に、SNSで「今、野本組が撮影しています!」というのを見て、野本さんと1回作品を作ってみたいと思っていたのに…と思いつつ、月日が経っていきました。
それで土屋組が始まる時に、「俺も参加してみたいんですけど…」って連絡したんです。大塚くんに。
そうしたら、「参加する代わりに、メンバーになるかもしれないよ」といったことを言われて、「どういうこと?メンバーってなんですか?」みたいな話をしたのを覚えています。
澤田和宏
確かにね、そういう関わり方をしてくるとわかんないよね。WDSのメンバーの企画だから…って話をさ。
佐々木穂高
そうなんです。その企画ということを知らなくて、ただ、ワークショップで映画を作る企画をやっているだけだと思っていたんです。
澤田和宏
WDSのメンバーがこの2年やってきた、みんなのためにやろうと思った企画でもあるからね。外部からふらっとやってきて参加するのは、ちょっとどうなんだろうなと思ったんだよね。それで大塚くんが言ったんだよね。
佐々木穂高
でもこっちは何も知らないんで、お互い頭にハテナを浮かべたままの状態で聞いていて、「メンバーってよくわかんないですけど。でも、やってみたいんで。」って入ったのがきっかけでしたね。
▼佐々木穂高さんと「ワークデザインスタジオ」への参加について
-佐々木さんがWDSへどのように参加したのかを質問しようと思っていたのですが、ある意味知らずしらずの内に、参加されていたんですね。
佐々木穂高
そうですね。入ってみてから、「ああ、ここってチームでやっているんだ」って知りました。
きっかけとしては最初に話があった通り、“信頼している人が呼んでくる人だから信頼できる”といった繋がりで、まさにそのパターンで入っていけたと感じています。
-知らない人というわけではないし、それがあるから途中参加も許された点があるのでしょうね。
佐々木穂高
そうですね。野本組と、今回の「HAKUSHI PROJECT」で上映されていない一作品があるんですけど。
前半が浅沼組と野本組。後半が土屋組と加藤組で、前半の2本の時には僕はWDSにまだ参加していないので、4作目に突然知らない人が出てきたので、野本さんからは試写会をした時に、「あれ?知らない人がいる」となって、「ゲストを連れてきたのかと思いました」と言われました。
そこで「途中から参加したんです。」と伝えました。
-そのおかげでインパクトがあったかもしれませんね。
▼佐々木穂高さんが「HAKUSHI PROJECT」でつかんだもの
佐々木穂高
今回の「HAKUSHI PROJECT」で1個掴んだと思ったのが、土屋組、加藤組、片山組も無事なんとか出演できて、その時に蓋を開けてみたら、役柄がどれも、ろくでもないというか、どうしようもない人物だということでした。
『とどのつまり』ではセフレの役で、『いろとりどりの』では、ヒモの役で、そのことをWDSに関わって気づきを得たと思っています。
澤田和宏
そういうキャラクターにハマるって、やってみないと分からなかったよね。
佐々木穂高
自分じゃわかんないですね。
人に評価されて初めて、「こういうのが自分に合うのか」といった一個何かを知れた、これが全てじゃないですけど。
▼佐々木穂高さんと澤田代表が交流を深めた経緯
-2人が最初に出会ったのはいつでしょうか?
澤田和宏
最初に出会ったのは一応ワークショップ中ってことだよね。2019年かな。
佐々木穂高
コロナになってからは全然行けていなかったので、ワークショップに単発で行ったときですね。
ワークショップの後に、忘年会にそのまま流れていった記憶があります。WDSだというのも知らずに、ただ忘年会をやるんで、「じゃぁ行きますみたいな」感じで、忘年会に参加したので出会いというとそれくらいで、再会はその1年後です。
澤田和宏
「HAKUSHI PROJECT」が始まっていて、土屋組のワークショップを2ヶ月間やって、その時はまだ仲良くはなかったんだよね。キャスト発表で、土屋組の『再演』のメンバーが決まっていく中で、僕らは競り合いに負けて、撮影現場に手伝いで行った時に、2人で一緒にいたのを思い出したよ。
佐々木穂高
スタッフ仕事をする現場は初めての経験でした。機材を運ぶ時に澤田さんと一緒になって、そのときに仲良くなって、「次に絶対にリベンジしてやろう!」という話を土屋組の撮影現場でしましたよね。
澤田和宏
そう、それで仲良くなった。それで加藤組でリベンジしたんだよな。
佐々木穂高
いわゆる“役者道”を語る先輩もいますが、自分達は純粋にお芝居を愛する先輩後輩みたいな形ですね。
-ほとんど意識していなかった二人が一旦離れたのに、また役者繋がりで声がかかって、交流が始まるところが面白いですね。
佐々木穂高
そう考えると面白いですね。
-先輩後輩というと長い付き合いを想像していましたがそうではない点や、10歳の年齢差がある中で、同年齢の時に考えていることが共通している点に興味を持ちました。
澤田和宏
まあ、みんな仲がよくて、僕は喋りやすい先輩ではあるのかなと思います。
佐々木穂高
そうですね。
■「ワークデザインスタジオ」、「HAKUSHI PROJECT」の今後
▼「HAKUSHI PROJECT」の今後
-今回上映したのが4作品で、残っている作品がまだ3つあるんですよね。公開時期は決めているんですか?
澤田和宏
特には決めていないですね。一旦時期を見ています。その三つもだいぶ尖った作品になっています。
-HAKUSHI PROJECTは、今後どのようにすすめていくのでしょうか?
澤田和宏
この企画は「HAKUSHI PROJECT」という大枠で出来ています。今回「HAKUSHI PROJECT」Vol.1なので、Vol.2、Vol.3と続くイメージです。
佐々木穂高
先日まで池袋シネマ・ロサで上映していた片山享監督の『とどのつまり』はどういった位置づけだったんですか?
澤田和宏
『とどのつまり』は元々Vol.2の中の1本だったんですけど、片山さんの申し出で短編から長編になって単独で上映した経緯があります。
それで、前段という形で上映を盛り上げていただいてから、「HAKUSHI PROJECT」に繋げたらいいんじゃないかとおっしゃっていただいた流れになります。
佐々木穂高
WDSが前面に出た数週間というイメージがありますよね。池袋シネマ・ロサで上映があり、新宿ケーズシネマでも上映するっていう。両作品がWDSが元になっているという意味で。
▼二人の夢、役者の成功って?
澤田和宏
いい役者っていっぱいいるんだけどね。売れる/売れないは別だしね。
-役者の成功ってなんなのでしょうね。役者ではない私もわかりませんし、第三者からしても、役者の成功って何だろうってきかれるとなんだろうと考えこんでしまうと思うんですよね。売れたいっていう願望はよく耳にしますが、何をもって売れたのか、それが成功なのかっていうとまた違うと思いますし。
澤田和宏
確かにそうですよね。多分役者って、芝居で飯が食えるようになりたいと思っちゃ駄目なんじゃないかな。
もちろん、芝居で飯が食えたらいいけど、そんな気持ちでやっていたら、我々の層は役者を辞めるんだよ。
佐々木穂高
現実を見てしまうと「…。」って思いますね。
澤田和宏
現実を見てしまうだろうし、正解があるとしたら、ただ続けることかな。そこにいろいろな外的な要因があって、いろんな価値観が自分に入ってきて地元に帰る人もいるし、結婚して辞める人もいるし。
僕は結婚しているけど、辞めてはいないというパターンもあるけど。
やはり続けることに意味があって、それは僕が口を酸っぱくして言い続けているように、“役者さんっていうは生き方だよ”ってことかな。
佐々木穂高
何事も好きじゃなきゃ続けられないですよね。
澤田和宏
僕が過去に所属していた事務所のマネージャーさんに言われたのは、「パズルのようにビジュアルと中身と時代が一致するときがある」んだって。それがピタッとハマると、その役者は売れる。
“それまでは、細かいことをうだうだ言わないことです”と話していました。
「なるほどな」って思ったよ。
だから、「売れたい!売れたい!」って闇雲に走り続けると迷っちゃう。
だからこそ面白いものを作りたいっていう仲間でモノ作りしているからこそ、良い作品で出会うこともできるし、そういうものを観たお客さんがいいねって言って、共鳴してくれるっていう。そこでチャンスが広がっていくと思うんだよね。
だからよくいるじゃん、いろんなところのワークショップを彷徨い続けるような人たち。
本来の筋にあるのは“自分がどう売れたいのか”という青写真を持っているかどうかじゃないかと個人的には思うね。
そういったものがなくても売れている俳優さんはいるしさ。「出た方がいいから!」って意見は圧倒的に多いし、それも正しいしさ。俺は別にそれだけが正解だとは思わないけどね。
▼「ワークデザインスタジオ」のこれから
-何が成功か、どうなりたいかみたいなところも話題に出たところで、WDSのこれからについてきかせてください。今後どうしていきたいか。次にこういったことを考えているといった話を聞かせてください。
澤田和宏
さっさとみんな卒業してくれと思っています。「早く売れて」って(笑)
-卒業とは?
澤田和宏
卒業っていうのは、「自立して」ってことかな。
佐々木穂高
「巣立つ」ってことですかね。
澤田和宏
WDSのみんなのためにある企画って、そこには外部から募集はしていないという背景があるので、その中でチャンスをつかんで巣立ってほしいんです。
今回の上映で、新たに僕に声をかけてくれた若手の俳優さんもいるわけで、その若手にチャンスをあげなきゃいけない。それは先輩である俺らがやっていくことだと思うんです。そういうことをきちんと回していくことをWDSとしてやりたいと思っています。
漠然とですが、あくまで俳優・役者のための集まり・団体として、どういう未来かって考えたときは、そういうふうに認知されて、あそこで修行してみんなが通っていく、若手の登竜門として、そこに行って育っていける場所として確立したいと思っています。
ただ、まだトライできていない長編映画はあらためてやりたいですね。
佐々木穂高
いろいろな将来像を話していますよね。長編もやりたいし、演劇も作ってみたいという人もいるし。
澤田和宏
長編やりたいって言っても、それはWDSがやらなくてもいいんだよね。
自分で頑張って企画を起こして協力してくれる人を集めて、長編をやる。
じゃあ、なぜWDSの中で、長編映画をやりたいという声が上がるのかというと、このメンバーで役と映画を作りたいところもあると思うんですけど、そこはゴールではないと思っています。
▼「ワークデザインスタジオ」って、結局どんな団体?
-カテゴライズする必要はないと思うのですが、最初、「ワークデザインスタジオ」ってどんな団体なんだろうと思いました。いわゆる芸能事務所ではなさそうだし、ワークショップを開催する企画会社でもなさそうだし。
今、話を聞くと、ワークショップを開催して今回の「HAKUSHI PROJECT」のような作品を作るという、学びの場とその成果である映像作品をつくって、きちんと公開することを繰り返していくんだろうなということをイメージしています。
澤田和宏
おそらく、「何をやっているのか?」って言う質問に答えるとしたらそうなると思います。
WDSの名前の由来の話になるのですが、“自分たちで仕事・ワークを作り出せることができる俳優たち”、“仕事を自ら作り出すことができるような俳優たちが集まっている”という思いが団体名に込められています。そういった仕事を創れる能力を持ちたいと考えています。
役者ってどうしても受け手側という位置づけだとおもうんですけど。仕事を創りだすこともできるというポテンシャルもあると思うんです。
佐々木穂高
今回、役者の方が映画館に来ると、どこか羨望というか嫉妬や、やりたいという気持ちや、いろんな感情になる気がします。
-学びの場でもあるんだけれども、そこに受動的では駄目で、やりたいことがしっかりあって、それを実現できる場にしていかなければいけないんでしょうね。
澤田和宏
そうでもあるんだけど、そこまで優しくないですね。いろいろと教えなきゃいけない部分もあるし、それを教えるのが自分の役目だと思うんですけど、最近はあえてしていない部分もあるし。
佐々木穂高
でも、ワークデザインスタジオのメンバーとして属したことで、いろいろ気づきが多いです。
現場でスタッフの方の名前を呼ぶとか、そういうことは当然のこととしてあって、そう言うのを知らないと撮影部さん、録音部さん、照明部さんといった役職名で呼ぶことになるという。
立場の上下はないので、各々のプロが集まった総合芸術が映画だと思うんで、そういうのを再認識しましたね。
ワークデザインスタジオに入って、23人の仲間から、23通りのやりかたや特性というか、周りから得るものや吸収できることの大切さを感じています。何よりこの映画を作ったことが誰でも作り手になれることを経験しました。
現状、自分はこのWDSにおんぶに抱っこですけど、23人+代表2人がいて、そのチームが自分たちで、『とどのつまり』も含めたら8作品をつくっているというのはすごいことだと思います。
▼「ワークデザインスタジオ」が周りに与えた影響
佐々木穂高
2年でこれだけ作れるって、メンバーとしては23人ですけど、それ以外の周りの役者からすると、すごいことだと思うんです。
澤田和宏
そう考えるとすごいかもね。3本目くらいに、撮影のスタートを1週間遅らせませんか?なんていう話もあったけどね。
佐々木穂高
映画を作っていると時間が経過するのも見えなくなってくるんですよ。気づけばもうこんなに作っているんですよね。
澤田和宏
そうだ、俺、「止めない」って言ったわ。「止めちゃ駄目、やろう」って。
佐々木穂高
澤田さんが、「やめない。もうこのまま続けよう。休んじゃうと止まっちゃうから」って言ったのを覚えています。その結果が蓋を開けてみたらもう8本作っていて、実際にカタチにして、池袋シネマ・ロサや新宿ケイズシネマで上映にこぎ着けているっていうのは、何万人といる役者の中で、たった23人の仲間ですけど、影響力は、他の役者にすごいあると思います。
澤田和宏
だから仲良くなるよな。毎週喧嘩したし。
コロナ前だから大体、一杯ひっかけるかって飲みに行って、みんなケンカして泣いていたよな。
佐々木穂高
そりゃそうです、やっぱり全員同じお金を払って、出演しようって、忖度なしの同じスタートラインから走り出して、作品への出演となるとそりゃぁもう死に物狂いですよ。
▼「ワークデザインスタジオ」のこれから ~追加メンバーについて~
-現在、代表2名+メンバーが23人なんですよね。
澤田和宏
はい。現在のメンバーは23人です。
-公式サイトを見る限りでは、随時募集はしているんですよね。
澤田和宏
応募は随時受け付けています。ただ今は「HAKUSHI PROJECT」が公開中なので…。
懸念しているのは、今のメンバーという出来上がったものに対して、随時で入ってこようとした時に入れないことがあるんじゃないかということです。。
佐々木穂高
そうですね。
澤田和宏
いま、ある程度のレベルに達しているところに、もし、芝居が未経験に近い応募者が入ってきたら、難しいと思うんですよね。
これまでも途中からメンバーが増えなくなった経緯があります。
-難しいですよね。俳優集団としてのお芝居のクオリティの保持を考えると…。
▼佐々木穂高さんのこれから…
-WDSの今後について伺いましたが、佐々木さんご自身的にはこうなりたいといったものはありますか?
佐々木穂高
現在は映画が上映されつつ、劇団「柿喰う客」(http://kaki-kuu-kyaku.com/)にも入っていて、そこでも演劇を学んでいます。
年々芝居は好きになっているので、どうなりたいというか、まず芝居を続けたいです。休まずに出続けていたい。
おもしろいと感想をいただける作品の一部になれればと思います。すごい抽象的ですけど。
とにかくただ今は売れたいというより、もっと楽しめるようになりたいですね芝居を。今以上に。
そしてもっと自分のことを知りたいと思っています。
■「ワークデザインスタジオ」の代表、所属俳優からのメッセージ
ーお二人からメッセージをお願いします。
佐々木穂高
27歳の未熟者ですが、現地点での考え、というか方法をひとつ。
「自分はやれる!」なんて1ミリも思わないようにしています。賛否両論あると思いますが、自分は自信がない人間なので脚本を目の前にしたとき、常に考えます。
これで合ってるのか、つまりこうだよな、いやそんなわけはない、というループをぐるぐる回ります。
こうして脚本にしがみついてひたすら捲ることで結局最初に考えてたことだったりするのですが、そのときに深さが違うというか、真実味というか説得力というか、とにかく違うんです。
よかったらめちゃくちゃしんどくなるので試してみてください。
嘘がより真実に近づくと思います。
澤田和宏
芝居を始めたのが19歳の時。その時はただ『芝居が上手くなりたい』、『芝居ができて嬉しい』その一心でした。それが年齢を重ねるにつれて『映画に出たい!』、『売れたい!』って変化して行きました。
今36歳になって思うことは、『いつか売れたい!』とか『俳優で金稼ぎたい!』とか思ってやっているうちは、本物の気持ちではないんだろうなぁって思います。お金を求めた時点でダメだと思います。
”映画が好き”で芝居を始めた若い頃の気持ち。それが”映画に出たい”から役者やってるというような気持ちがまず第一にくるようでは、この業界は諦めたほうが良いと思います。
俳優で成功している人なんて、ある種一時的なものです。
”死ぬまで俳優やるんだ”
そんな真っすぐで、映画を愛している気持ちがあるのなら、役者を目指してほしいなと思います。ワークデザインスタジオの仲間達は、みんなそんな人達の集まりです。
HAKUSHI PROJECT 11/19(土)〜大阪・第七藝術劇場にて1週間限定上映
■ワークデザインスタジオ
▼HAKUSHI PROJECT